東京地方裁判所 平成3年(ワ)17307号 判決 1992年3月30日
原告
平林茂樹
原告
金井昌煕
原告
高橋功一
原告
高橋晴彦
原告ら訴訟代理人弁護士
中西義徳
被告
株式会社アイ・エム・エス
右代表者代表取締役
神藤敏雄
右訴訟代理人弁護士
根岸隆
主文
一 被告は、
1 原告平林茂樹に対し、金四七万〇五〇〇円及びこれに対する平成二年五月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を
2 原告金井昌煕に対し、金四四万一六〇〇円及びこれに対する平成二年五月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を
3 原告高橋功一に対し、金三八万六三〇〇円及びこれに対する平成二年五月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を
4 原告高橋晴彦に対し、金三一万九三五五円及びこれに対する平成二年五月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を
それぞれ支払え。
二 控訴費用は被告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
主文同旨
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告らは、別紙1(略)「入社日」欄記載の日に被告会社に入社し、同「退社日」欄記載の日に同社を退社した。退社当時の原告らの基本給は、別紙1「給与」欄記載のとおりである。
2 被告の退職金規程は別紙2(略)のとおりであるところ、これによると原告平林茂樹、同金井昌煕及び同高橋功一の受給すべき退職金額は別紙1「退職金額」欄記載のとおりであり、その弁済期は同「退職金支給日」欄記載のとおりである。
3 原告高橋晴彦の平成三年三月二一日から同年四月一一日の間の給与は別紙1「未払給与」欄記載のとおりであり、その弁済期は同年四月三〇日であるところ、被告はその支払をしない。
よって、被告に対し、原告平林茂樹、同金井昌煕及び同高橋功一は別紙1「請求額」欄記載の退職金及びこれに対する各弁済期の翌日から、原告高橋晴彦は同「請求額」欄記載の未払給与及びこれに対する弁済期の後である平成二年五月三一日から、それぞれ支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
請求原因事実はすべて認める。
三 抗弁
1(一) 被告は、商品棚卸業務の受託及び請負を主たる業務とする会社で、平成二年四月当時、東京都、横浜市、前橋市等に営業所を有していた。
右業務の内容は、主として、スーパーマーケット、コンビニエンスストア等の依頼により、店舗の営業中に、その店舗内の商品の棚卸を行うことである。
(二) 原告らは、全員が被告の取締役及び管理職の地位にあったものであり、平成二年四月一日当時の具体的身分は次のとおりであった。
原告 高橋晴彦 取締役
原告 平林茂樹 東京営業所長兼オペレーション部次長
原告 金井昌煕 横浜営業所長兼オペレーション課長
原告 高橋功一 営業課長
2(一) 平成二年二月一〇日の被告の取締役会において、翌三月からの事業方針につき原告高橋晴彦が態度を保留した。
(二) 同月一九日、原告高橋晴彦は、被告代表者に対し、(1)同原告を専務取締役に昇格し、役員報酬を大幅増額すること、(2)原告平林と原告高橋功一を取締役に昇格すること、(3)取締役訴外斉木を解任すること等八項の要求を提出した。しかし、被告代表者は、右要求に同意しなかった。
(三) このころから、原告四名は、同人らが中心となって、被告の社員をも誘って退職し、被告の競業会社を設立することを画策しはじめた。もちろん、被告やその代表者には、全く極秘であった。
(四) そして、まず原告金井が、右画策と無関係であることを装って、同年四月五日付で、同月二〇日をもって退職する旨被告に届け出た。
3(一) 次いで、原告高橋晴彦は、平成二年四月一一日午前一一時ころ、被告を退職する旨届出をなし、退職金二〇七万円を受領した。
(二) その際、原告高橋晴彦は、被告に対し、(1)貴社の秘密漏洩、経営陣に対する批判、会社に対する中傷等貴社の経営の妨害となる言動は一切行いません、(2)前項に違反したときは、退職金の半額金一、〇三五、〇〇〇円を貴社より返還請求されても異議ありません、と確約した。
4(一) しかるに、原告高橋晴彦が退職金を受領した約二時間後の平成二年四月一一日午後一時ころ、突然原告平林が、同人、社員高橋昭人、同津田正行、同財津亘弘及び同鶴田義宗の計五名の退職届を被告に持参提出した。
右届出が予めの相談のうえなされたことは、(1)全員の退職届が前日の四月一〇日付となっておりかつ全員が四月三〇日をもって退職と記載していること、(2)全員が現実勤務は四月一五日までで、以後三〇日までは有給休暇をとると一斉に届出したこと、(3)全員の退職届を一人が持参提出したこと、(4)提出の時期等で明白である。
(二) 更に、翌一二日午後二時ころ、今度は原告高橋功一が、同人、社員浅沼弘一、同佐藤吏、同保理輝哉、同岡部秀直、同川守田泰弘及び同高谷宏昭の計七名の退職届を被告に持参提出した。
右届出も予め相談のうえなされたことは、(1)全員の退職届が前日の四月一一日付となっておりかつ退職日も佐藤、保理が四月二五日、他の五名は四月三〇日となっていること、(2)右のうち岡部が四月一七日以後は有給休暇と届け出たが、ほか六名は一斉に四月一六日以後は有給休暇と届け出ていること、(3)全員の退職届を一人が持参提出したこと、(4)提出の時期等で明白である。
(三) 右の一斉退職者は、既述の金井を含めると、東京営業所在籍者七名中の六名、横浜営業所在籍者一〇名中八名となる。
被告は、平成二年四月一三日付で、原告高橋晴彦を除く原告三名に対し、管理職の立場にあることを自覚し、被告の業務に支障のない時期・方法で退職するよう勧告したが、無視された。
5(一) 原告らは、平成二年六月五日、株式会社マーキュリーを設立登記したが、同社は被告と同じく、商品棚卸業務の受託及び請負を主たる業務とする被告の競業会社である。なお、右会社は、設立に先立って、同年五月から、「会社」と称して業務を開始した。
(二) 右会社の発起人七名中四名は原告であり、資本金五〇〇万円のうち、原告高橋晴彦が一二五万円を、原告平林が一〇〇万円を、原告金井が一〇〇万円を、原告高橋功一が五万円を引受出資し、原告らで資本金六六パーセントを引受、出資した。ただし、取締役中に、原告らの名はないが、原告高橋晴彦によれば、「被告の責任追求がなくなれば、自分が代表者になる。」とのことである。
(三) 右会社には、被告を一斉退職した者のうち原告ら四名を含め計九名が入社した。
6 以上によれば、原告ら四名が中心となって被告の競業会社を設立・営業するために、被告に著しい営業上の支障が生ずることを十分に知りつつ、共謀のうえ、ほぼ一斉に退社するとともに、社員一〇名を引き抜き退社させたことは明白である。
これは、使用者であった被告に対する重大な背信行為であって、不法行為に該当し、原告らは被告に生じた損害を賠償する義務がある。
また、原告高橋晴彦については、被告に対する重大な経営妨害であり、前記確約一項に違反する。
7(一) 原告ら及び社員計一四名の一斉退職により、被告横浜営業所及び東京営業所は直ちに機能喪失に陥らざるを得なかった。
このため、取引先に対し、多大な迷惑をかけ、その後取引を停止縮小されたものは月間約七〇〇万円に達する。
(二) 横浜営業所は、直ちに閉鎖のやむなきに至り、東京営業所も機能回復まで一か月余を要した。
(三) 被告は、前記一斉退職による受託業務不履行を理由として、取引先から損害賠償要求されている左記金額及び横浜営業所閉鎖による損害につき、原告らに損害賠償を請求できる。
(1)株式会社ファミリーマート 金九八万四〇〇〇円
ミニストップ 金八九万八〇〇〇円
エフジーマイチャーミー 金三万三九五七円
(2) 横浜営業所家賃(五月一日から七月一九日分) 金五三万〇二九一円
二営業所パート二名の解雇補償給 金六八万〇〇〇〇円
計金 三一二万六二四八円
8 よって、被告は、前項の損害のうち金一〇三万五〇〇〇円については前記確約違反を理由として原告高橋晴彦に、残金二〇九万一二四八円については共同不法行為を理由として原告全員に支払を求め目下訴訟中(東京地方裁判所平成二年(ワ)第一〇六四〇号損害賠償請求事件)である。
そこで、被告は、右損害賠償請求権と原告らの本訴請求を対当額で相殺する。
9 労働者の賃金債権は、不法行為による損害賠償請求権をもっても相殺できないとの説が多数である。
しかし、本件のごとく、会社の管理職が四名も共謀し、二営業所の殆んどの社員を退職勧誘し、二営業所を閉鎖に追い込むと同時に、競業会社を設立し、雇用する等の極めて悪質な事案においては、相殺を認めなければ、著しく社会通念に反する特別事情があるというべきである。
四 抗弁に対する認否・反論
抗弁の事実及び主張は争う。
被告主張の訴訟が係属していることは認める。
被告は、右訴訟で原告らに対して請求している不法行為損害賠償請求権をもって、本件賃金債権を対当額で相殺する旨主張する。しかし、そもそも右損害賠償請求権なるものは存しないのみならず、使用者が賃金債権を相殺することは労働基準法二四条一項に反し許されない。この理は、使用者の有する債権が不法行為に基づく損害賠償請求権であっても何ら変わらない。この点について、最高裁昭和三四年(オ)第九五号同三六年五月三一日大法廷判決(民集一五巻五号)は、「労働者の賃金は労働者の生活を支える重要な財源で、日常必要とするものであるから、これを労働者に確実に受領させ、その生活に不安のないようにすることは、労働政策の上から極めて必要なことであり、労働基準法二四条一項が、賃金は同項但書の場合を除きその全額を直接労働者に支払わねばならない旨を規定しているのも、右にのべた趣旨を、その法意とするものというべきである。しからば同条項は、労働者の賃金債権に対しては、使用者は、使用者が労働者に対して有する債権をもって相殺することを許されないとの趣旨を包含するものと解するのが相当である。」としており、被告の主張は理由がない。
理由
一 請求原因事実はすべて当事者間に争いがない。
二 抗弁について検討する。
抗弁において被告が相殺の自働債権として主張する債権は、係属中の別訴において被告が各原告に対して訴求している債権そのものであることは当事者間に争いがない。しかして、係属中の別訴において訴訟物となっている債権を自働債権として他の訴訟において相殺の抗弁を主張することはおよそ許されない(最高裁昭和五八年(オ)第一四〇六号同六三年三月一五日第三小法廷判決・民集四二巻三号、同昭和六二年(オ)第一三八五号平成三年一二月一七日第三小法廷判決・民集四五巻九号参照)。すなわち、民訴法二三一条が重複起訴を禁止する理由は、審理の重複による無駄を避けるためと複数の判決において互いに矛盾した既判力ある判断がなされるのを妨止するためであるが、相殺の抗弁が提出された自働債権の存在又は不存在の判断が相殺をもって対抗した額について既判力を有するとされていること(同法一九九条二項)、相殺の抗弁の場合にも自働債権の存否について矛盾する判決が生じ法的安定性を害しないようにする必要があるけれども理論上も実際上もこれを防止することが困難であること、等の点を考えると、同法二三一条の趣旨は、同一債権について重複して訴えが係属した場合のみならず、既に係属中の別訴において訴訟物となっている債権を他の訴訟において自働債権として相殺の抗弁を提出する場合にも同様に妥当するものであると解するのが相当である。そうすると、被告の前記抗弁は、係属中の別訴において訴訟物となっている債権を自働債権として他の訴訟において相殺の抗弁を主張するものにほかならないから、右主張は許されないものといわなければならない。
三 よって、原告らの請求はその余の点について判断するまでもなく理由がある。
(裁判官 松本光一郎)